【人事労務のリスク管理メモ】5月号アップしました

【今回のストーリー】

●経理のスペシャリストを採用したが…

G社は独自技術に強みを持つ製造業で、その技術を生かした製品は国内でトップクラスのシェアを持つ。製造工程も独特で、生産管理も自社内で工夫を重ねてきたが、原価管理を含めた全社的な経営管理のための経理システムの構築に頭を悩ませていた。
この問題を解決するため、G社は、経理業務のスペシャリストを採用して、独自の経理システムを構築しようと考え、会計事務所での税務会計業務を経験し、税理士資格もあるTを、破格の待遇で採用した。
採用に当たりG社は、当面は経理システムの構築を目的とする採用であることから、一年間の期間契約を考えていたが、Tから正社員としての採用を強く希望されたため、G社も妥協し、部長待遇で受け入れることとなった。
これまで経理作業は、事務職員の片手間的な作業だったため、Tの処理スピードの速さに、G社経営陣は、専門家の能力はこんなにも違うものか、と感心の目を向けていた。これなら経理システムの構築も短時間で完成するだろうという期待が持たれた。
そうした期待に応えるべく、Tは精力的に現場を回り、短期間で経理システムのフレームワークを作り上げ、そのプレゼンテーションを役員会議で行った。ところが、その評価は惨憺たるものだった。何が悪かったのか…

●何を言ってるのか、さっぱりわからない

自ら構築した経理システムに自信満々のTは、プレゼンにも周到な用意をして臨んだが、その熱意は役員たちに全く伝わらなかった。それどころか、Tの能力にすら疑問を抱いた。それは、説明内容があまりに専門的なことに加え、回りくどい説明は、技術畑出身者が多い役員らには、Tが何を言っているのか全く理解ができなかった。
実は日常的な業務について、Tの下で作業をしていた女性スタッフらからも、Tの指示は、難しすぎて意味が分からない、という声が上がっていた。
Tは、経理の専門的能力は高いが、一方で、職場の中でコミュニケーションをとりながら業務をすすめていくことに関しては、不得意というよりも、むしろそれができないのではないか、とも思われた。
かといって、部長待遇で経理全般を任せるつもりで採用した以上、日々の経理業務を淡々とこなしてもらうだけという訳にもいかず、また、せっかくの高度な専門性を生かしてもらわなければ、ということもあり、G社としては、Tと職場のコミュニケーションを取り持つ、いわば通訳のような職員Yを配置することで、当初の目的を達成しようと考えた。

●「経理の素人が口を出すな!」

G社として、このTをどう活用すればいいのか頭を悩ませている一方で、T自身も、自分の能力を否定されるような状況に直面し、ショックでもあり、大きなストレスも感じていた。特に、自分の話に通訳をつけるかのような対応に、プライドが大きく傷つけられたと感じた。
それ以来、Tは会社に対し大きな不満を持つようになり、特に間に入ってコミュニケーションを取り持つ役割を担ったYは、日々Tからストレスのはけ口であるかのように怒鳴り散らされるようになっていた。
いたたまれなくなったYはTに対して、「このままでは何も進まない、少しは周りのことも考えてください。」と意を決して進言したが、それに対してTは、「素人は黙ってろ!」というなり、職場から出て行ってしまった。
このことの報告を受けた人事では、問題を重視して、Tから聞き取りをすることとなった。

●「私だって、何とかしたいと思っているんです」

Tは人事との面談で、暴言の事実関係を概ね認めたうえで、G社があまりに経理業務を軽視しすぎている、経理を知らな過ぎで信じられない、など不満を口にしていたが、人事担当者から、「職場は人間関係で成り立っている。経理に対する無理解云々を言う前に、あなたがコミュニケーションをしようとしなければ、何もできるわけがないでしょう。」と諭すと、Tは、「私だって、何とかしたいと思っているんです。」と涙をこぼしていた。
人事は、Tには今の状況は限界であることを察知したため、Tの同意を得て、総務部長のKの部下として経理業務に従事させることとした。

●今度はKとことごとく対立するT

部長職という責任から解放されたTは、多少は晴れ晴れと仕事をするかと思いきや、今度は上司のKにかみつき始めた。
もともと経理の専門ではない上司のKからは、日々の経理業務をつつがなくまずはこなしてくれ、という指示しかないことに業を煮やしていた。特に現場特有の作業に絡む処理に悩んでKに相談しても、「君の方が専門だろう」とか、「その現場で話を聞いたらどう」などと直接Kが対応しないことに腹を立てていた。それがTにとって無責任にも映ったし、また、Kが意図的にTを避けている、とまで思い込んでいた。
Tは、上司のKに対する不満を人事にぶつけたが、Tのコミュニケーション欠如を喝破している人事としては、「お互い上手くやってよ」と真剣に取り合おうとしない。それでもTは繰り返し人事に相談するので、思わず人事担当者が、「転職という選択肢もあるんじゃないですか」とぽろっと出た一言で、Tの気持ちは「仕事を失うのではないか」という恐怖に襲われるようになった。

●会社は私を辞めさせようとしている…

Tは強い雇用不安に陥っていた。そもそも私をKの部下ににしたことも、退職させる意図があったのではないか、Kの不当な指示について解決を求めても、人事は全く動こうとしない、会社もKとグルになっている、私は辞めさせられる…Tの妄想は尽きない。
意を決して外部の労働相談を利用したところ「退職勧奨をしないでほしい」とはっきりと求めたらどうか、とアドバイスを受け、「退職勧奨をしないで」と人事に求めた。ところが人事は、「退職勧奨などしていない」という。Tはますます混乱してきた。人事は私を辞めさせようとしているのに、退職勧奨はしていない、というのか、と。
Tから繰り返し退職勧奨をするなと求められ、その都度、退職勧奨はしていないと否定していると、「もう同じことを言わないで」とTはいきなり叫んだ。