意思疎通が難しい社員への対応

繰り返し、何度も同じ指導をしても、同じ注意をしても、言動が全く改善する兆しすらない、というスタッフがいます。万事においてそうであれば、ある意味で分かりやすいのですが、何かある特定の状況、特定の作業、特定の課題や問題に対応するときに、その特定の要素に執拗にこだわったり、特定の一部分について、猛烈な拒否反応を示すなど、「あれっ…?」「えっ…?」という反応を示すのです。

当初は、「あれっ…?」「えっ…?」と思いつつも、まぁ、そういうこともあるだろう、何か別のことを考えていて上の空だったのだろう、とか、たまたま虫の居所が悪かったのか、などと問題が無いことを前提にするような判断をして、それ以上に踏み込むことはしてこなかったかもしれません。

ですが、もしここで、その「あれっ…?」「えっ…?」という状況に対して、さらに踏み込んだ対応、働きかけをしたとすれば、そのスタッフの対応、身振りや表情などが全く変わってしまう、あるいは暴力的な行為や手段を衝動的に起こすかもしれません。件のスタッフが本性を現した瞬間ということになるのかもしれません。

非違行為と判断する前に

ですが、同じ職場の同僚にとっては、特に珍しいことではないのかもしれません。「いつものことだから…」「あの人は何を言ってもしょうがないから…」で、済まされてしまっているのかもしれません。といっても、その言動が適当なものではないとすれば、何らかの対応が必要かと思います。

とはいうものの、その言動の内容によっては、懲戒処分事由に該当する可能性もあるかもしれませんし、明らかに懲戒処分の対象と判断できる言動かも知れません。懲戒処分に該当するのであれば、当然懲戒処分を実行するべきところですが、ここで改めてお考えいただかなければならないことは、懲戒処分は職場秩序の維持回復を目的とした手段であって、懲戒処分そのものが目的ではない、ということです。

そうした意味では、もし懲戒処分に該当する言動であったとしても、懲戒処分とすることで、状況が改善するどころか、むしろ悪化する可能性が考えられるのであれば、懲戒処分以外の方法を考えなければならないのではないかと思います。

改善の必要性を理解していない!?

ハラスメントを繰り返す常習犯の中にも、本人は何が問題なのか、全く理解をしていない場合があります。このとき、ハラスメントという行為をしてはならないものである、という認識ができないケースと、ハラスメント行為をしてはならないものという理解はあっても、自分のハラスメント行為を認識できないケースがあります。

前者の場合、注意指導によって一時的にハラスメント行為を自制しているものの、ハラスメント行為自体をしてはならないものという認識を重要なものとして受け止められないため、ほとぼりが冷めればまた同じことをするようになります。注意をされたから、これ以上の処分を避けるために、とりあえず止めてみた、というものです。

後者の場合、自分はハラスメント行為などしていない、そんな問題のある言動はしていない、と主張します。誰がそんなことを言っているのか、それは嘘だ、冤罪だ、自分を陥れようとしている罠だ、という陰謀論のような主張をして、自分こそ被害者だ、などと言い始めます。

前者と後者の違いは、前者の場合、注意されたという事実は受け入ている一方で、注意をされた言動については、何が問題なのか分からない、という問題の受け止め方に問題があるケースです。

「私は何も悪くない!」

それに対して後者は、注意の対象となった言動というものが問題であることは理解を示しているとしても、それは自分はしていない、などと自分自身の言動の事実を認められないケースです。自分が注意をされるなどあり得ない、なぜ注意するのか、これはパワハラだ、などと問題があらぬ方向に迷走します。

問題の指摘を受けた時に、それに対してどのように改善すればいいのかを考えることが改善になるのですが、問題の指摘を、自分自身に対する攻撃、責任追及と受け止め、「私が何をしたって言うんですか」「私は何も悪くない」などと、問題を解決するという発想を持ちえない対応が見られることがあります。事実を振り返り、それを受け入れることができないのです。

考え方は変えられない

このような問題に直面した時に、何とかこの本人に問題を自覚して欲しいという気持ちから、さらに懇切丁寧に問題の事実関係と、それが問題であるとされる法的根拠などの説明に尽くすのですが、上述の通り、そもそも本人には、そうした説明の内容が頭の中に入り込む余地がありません。

とくに後者の場合、一見して議論がかみ合っているかのような錯覚に陥ってしまうようなこともありますが、本人の主張の核心は、私はそんな問題を起こしていません、何で私をそんなに責めるんですか、これ以上そんなことは言わないで…という頑なな拒絶のメッセージなのです。

それに、これはあらゆるトラブル対応にも当てはまることなのですが、考え方や感情の変化を問題解決の一つのゴールとして考えてしまうことがあります。ですが、考え方や感情の変化は、目に見えるものではありません。謝罪をしてくれたけれども、心がこもっていない、本当に改心したのか、などと懊悩したとしても、これは詮無いことではあります。

謝罪をする、反省の意を示した書面を提出する、という具体的な行為そのものに意味を持たせない限り、解決のゴールにはなり得ません。気持ちが変わったのかどうかなど、確認のしようがないからです。

行動に制約を加える

問題となるものは、本人が起こした言動であって、問題の解決は、その言動が無くなることにほかなりません。本人が問題の事実を受け入れ、真摯な反省をすることができれば、なお結構ということになるのかもしれませんが、これにしてもあてになるものではありません。本人が真摯な気持ちで反省をしても、うっかりまた同じことを繰り返すかもしれませんし、あるいはまた心変わりをして、反省をしたことなど一切を忘れているかも知れないのです。

繰り返しになりますが、問題は何か、その問題の言動を無くなることが問題の解決であり、その言動をしないようにするためには、どのような対応が必要なのか、ケースバイケースで対応方法を具体的にご検討いただくことが必要になるのではないでしょうか。

例えば、自分の言動の事実を振り返って受け入れられない場合、問題の言動に至る状況、環境を確認し、その状況、環境に入らないような制約を加える必要があります。あるいは、職場の他の同僚との接触がある限り起こり得るのであれば、在宅勤務にするなど、物理的なそのような環境から隔離するという対応をとるべきということになります。