抽象的なメッセージはトラブルを誘発する
他愛ない雑談程度であれば、意味不明な形容詞が場を和やかにすることもあるかもしれませんが、ことトラブル対応という場面では、抽象的な表現はご法度です。抽象的な表現は、使いやすい。もっと言えば、具体的な内容に踏み込む必要がない、楽に使える便利な言葉ですが、具体的ではないことから誤解を生みやすく、問題を主観的感情的に走らせやすい、極めて危険な表現であるとも言えます。例えば、
「今後は一人一人の能力、成果に応じて、給料を変えるような仕組みを取り入れたいと思います」
「…(ザワザワ)」
「良い成果を上げれば、これまで以上に給料も上がる、ということです」
「ということは、成果が下がれば、給料も下がる…」
「まぁ、そういうことです。ですが、頑張っている人と、それほど積極的ではない人との間で、評価や、給料が同じなのは、むしろ不公平だろうと思います」
「それじゃあ、頑張らないと給料が下がるということに…」
「会社としては、皆さんに頑張って仕事をしてもらって、成果を上げて欲しい、それは当然だよね」
「えぇ…まぁ…」
「その成果が上がった分を、その人に還元する…」
「頑張れば、給料も上がる…」
「その通りです」
「今までだって、がんばってきましたが、これ以上頑張れ、と…」
「そうではありません。今、既にある不公平を改善することになります」
「それなら、今、精いっぱい頑張ってる私は、給料が上がるということでしょうか」
「そういう考え方になります。ですが、頑張り方は人それぞれなので、それも含めて会社で判断します。これまでの頑張りが足りない人は、もしかしたら給料が下がるかもしれません」
「がんばればいい、っていることですね」
「そういうことです」
これで収まれば良いのですが、そうは問屋が卸しません。
「さっきからのやり取りを聞いていますと、頑張るという言葉で一括りにされてしまって、具体的に頑張るということがよく分かりません」
「頑張ることがよく分からない、というのも…(苦笑)」
「頑張り方で給料が変わるということであれば、何を基準に給料の金額を決めるのか、そこがはっきりしていなければ、何も分からない、と言っているのです」
「今でもおそらく、私は頑張っているのに、なんであの人と給料が同じなのか、という不満がある人もいるかと思います。そういう不満を解消するために、不公平感が無いような給料にする、ということです」
「不公平感が無い給料にするという理念は分かりましたが、具体的にどのような基準で判断するのか、とお聞きしているのですが…」
「それはケースバイケースとしか言いようがありません。頑張り方は人それぞれだからです」
「ということは、明確な判断基準はない、ということですね」
「ない、ということではありません」
「ではその基準を説明してください」
「ですから、頑張り方は人それぞれで…」
「それでは、はっきりお聞きしますが、私の場合、仕事への取り組み方がこれまでと同じ場合、今の給料は上がりますか、下がりますか、それとも変わりませんか」
「…」
「それは私も聞きたいです。この場で答えてもらっていいです」
「私もお願いします」
「私も…」
これ以上の回答も対応もすることができなくなった人事部長は、社長と相談の上、改めて説明をする、と約束しましたが、従業員の中からは、疑心暗鬼の気持ちが蔓延していきます。
「あの人事部長の話、どういうこと?」
「結局、会社の都合で給料も上げたり下げりする、ってことでしょう」
「でも、これまで通りの仕事の仕方で、給料がどうなるのか、何で人事部長は答えなかったんだろう…」
「答えなかったんじゃなくて、答えられなかった…」
「何にも決まってないから?」
「そうかもしれないし、もしかすると、これまで通りならみんなの給料が下がることにしていた、だから、みんな下がります、なんて、あの場ではとても言えなかった、とか…」
「そんな…」
「だって、頑張れば上げるけど、頑張らなければ下げる、っていうんでしょう?」
「結局、何がしたいんだろう、うちの会社…」
「人件費の削減…でしょ。見え見えだよ」
「なんか、お先真っ暗だな…」
まもなく、2回目の説明会が開かれました。今度は人事部長は何か資料を持っているようです。
「皆さんのお手元に配布したのは、人事評価表です」
「…」
「具体的な評価基準についての質問が前回ありましたので、この表を使って評価をすることにします」
「あの…評価項目についてお聞きしたいのですが…」
「どうぞ」
「評価項目の中で、勤怠は分かりやすいのですが、能力とか、目標達成度とか、協調性とか、これは誰が判断するんですか」
「直属の上司です」
「それなら、上司の判断で評価が決まるということですか?」
「上司だけの判断ではなく、最終的に私も確認します」
「上司に嫌われてたら、給料が下がるということですね」
「上司の個人的な好き嫌いが評価に影響させてはなりませんから、評価項目には、それぞれについて具体的な評価項目がさらに細分化されています」
「これは、絶対評価ですか、相対評価ですか?」
必ずこのような問題の本質に迫る従業員がいます。
「相対評価です」
「ということは、みんなが高い評価ということはあり得ない、ということですね」
「そういうことになります」
「それでは、この評価の、S、A、B、C、D、のうち、給料が上がるのは、どれですか」
「A以上です」
「それでは、下がるのは…」
「Bは現状維持です。CとDが下がります」
「CとDの評価が付く人が、必ずいるわけですね」
「まぁ、相対評価なので、そういうことになります」
「えっ…(ザワザワ)」
「S、A、B、C、Dに振り分けられる人数、それぞれの構成割合を教えてください」
「それは…ちょっと…」
「決まってないんですか?」
「決まっていない、というか、まだはっきりとは…」
「では、確定した段階で公表していただける、ということですね」
「…」
人事部長は具体的な話を執拗に持ち出すこの従業員に辟易していました。「これから初めて試みることなんだから、やって見なきゃ分からないだろ…トライアンドエラーでいい制度にしていくものなんだから…」などと考えていますが、従業員にとって、制度がどうのこうのなど、どうでもいいのです。自分の評価がどうなるのか、自分の給料がどうなるのか、それが最大の関心事です。
ハッキリ言ってほしい労働者、オブラートに包みたい使用者
会社側のこうしたデリケートな問題への対応については、気になる傾向があります。それは、抽象的な表現でオブラートに包んで、明確な結論を伝えない、あえて導き出さない、具体的な内容には触れない、という傾向です。はっきり言えば角が立つ、とか、平穏に収拾を図るためには、多少ぼやかした言い方の方が良い、と考えるのです。そうした対応が何を引き起こすのか…労働者はどう考えるのか、どう思うのか、この視点が抜け落ちているために、事態があらぬ方向に向かいます。
「やっぱり会社は、リストラを考えているに違いない」
「みんなの賃金が確実に下がるような賃金制度の変更には絶対反対だ」
「そうだ!」
「人事部長は、のらりくらりと問題にはっきりと答えようとしないのは、やましいことがあるからだ」
すっかり人事部長が悪者になってしまいました。
退職勧奨の理由を言わないのはなぜ…
ある従業員に問題があり、使用者としては退職をして欲しいと考え、退職勧奨をしました。ところが会社側からは、退職勧奨の明確な理由説明がありません。この従業員はなぜ退職勧奨をされなければならないのか、その理由がはっきりしないことが、この従業員にとって、大きなストレスであり、不満でした。
外部に相談すると…「不当な退職勧奨です」
そこでこの従業員は、会社から明確な理由なく退職勧奨をされている、外部の相談機関に相談したところ、退職勧奨に応じ無い意思表示をしているのに退職勧奨を続けることは問題があること、理由説明が無いということは、理由があっても説明しないことも含めて、理由なく退職勧奨をしていると判断されるものであるから、退職勧奨が止まない場合には、不当な退職勧奨として法的解決を図ることも考えるべき、などとアドバイスを受けました。
本当の理由は、業務遂行能力の欠如、だったのですが…
実は会社としては、この従業員にはミスが多く、勤怠にも問題があるため、上司との相談の上、退職勧奨をすることになったという経緯がありました。ところが、この理由を説明すれば、本人が気に止むだろうし、またこの理由に対して猛反発をするのではないかという懸念もあったため、理由についてははっきり言わないでおこう、ということになったのでした。
これが結果として、理由のない不当な退職勧奨と解釈され、逆に無用のトラブルを引き起こすことになったのです。
ハッキリ言わない対応は、解決の先延ばし
実はこの労使の感覚の違いはどうしても乗り越えられないようで、はっきり言ってほしい労働者と、オブラートで包みたい使用者という構図に変化は無いように見えます。私見ですが、ハッキリと言うことに、どうしても抵抗感のある会社側担当者、経営者の方は、少なくないように思われます。もしあなたがそうであるならば、そうした対応は、問題の解決には至らず、むしろ問題の先延ばしになるだけであって、潜在的なリスクを抱えてしまうことになるということをもう少し意識をしていただく必要があるように感じます。
ハッキリ言うことと、オブラートに包むことは両立できるもの
ここに一つの誤解があります。はっきりと言うことと、オブラートに包むことは、両立できるものであるということです。はっきりと言うこととは、明確なメッセージを伝えることであり、オブラートで包むことは、これは相手に与えるインパクトを考えた表現方法の問題だからです。
はっきり言えない本当の理由は何か?
それともう一つ、はっきりと言うことが憚られるのは、これまでその問題について言及したことが無く、いきなりその内容を伝えなければならないことに抵抗があるのではないでしょうか。もしそうであれば、これまでの対応が適切ではなかったことの裏返しであり、対応方法を見直す必要があるという考え方が必要になるのではないでしょうか。