【人事労務のリスク管理メモ】2月号アップしました
【今回のストーリー】
●わが社の基準では、パワハラには該当しない
上司の課長Aからの執拗な叱責と説教に悩まされていたBは、ある日の朝、どうにもならない虚脱感と頭痛で出社ができないことを会社に告げたうえで、精神科を受診すると、適応障害との診断をもらった。これは間違いなくAが原因だ。そう思ったBはその足で出社し、人事に問題を説明した。
「この原因はすべてA課長の言動にあります」
「A課長は何て言ったの?」
「毎日叱られます、ちょっとしたミスで」
「それはミスをする方が問題なんじゃないの」
「私だけが叱られます」
「…」
「それに、退社時間間際になると、私だけ呼ばれて、説教をされます。」
「説教されるあなたに問題があるんじゃないの?」
「だから、私だけなんです!A課長は、私のことが嫌いで、嫌がらせをしているんです」 「いろいろあるようだけど、とりあえず問題について書面で出してもらえる?確認しますから」 「これは絶対パワハラです。今回のメンタルも、労災にしてほしいです。」
「労災!?」
人事部長Cの顔色が変わった。
「いずれにしても、早めに書面にしてもってきて」
とだけ言うと、C部長は足早に社長室に向かった。
「Bが、労災申請をしたいとか言ってきましたが…」
社長はぎくりとした表情でC部長を見返した。
「困るよ、大きな取引の交渉中なんだから。変な噂が立たないように、うまく立ち回ってくれ。C部長の仕事だよ」
「…と、言われましても…」
「なんだ、頼りないな。またD部長に頼むか…」
「ま、待ってください。…何とかしますので」
「うむ、それでこそ人事部長だ。頼んだぞ」
というと、社長は出て行ってしまった。社長に何をどう頼まれたのか、C部長には理解不能だったが、この問題にうまく幕を引かなければならないことだけは確かだ。どうすればいいのか…?まずはBからの報告書面が届くことを待つことにした。
翌日早々に、BはC人事部長のところに駆け込んできた。おもむろに手渡されたA4の紙数枚に、びっしりと字が書かれてある。見るだけでもうんざりだが、ここからが勝負と気を引き締めた。
「この内容を確認した上で、会社の結論を返答します。しばらく待ってください。」
「早くお願いします。それと、A課長と離れたところで仕事をさせてください」
「いますぐは無理だ」
「私の体調が悪化したら、C部長のせいですからね」
「ちょっと、ちょっと待ってくれ…」
自分よりも親子ほども違うBに翻弄されている自分に情けなさを感じながら、どうすべきか必死に考えた。さすがに人事に置くわけにもいかず、隣の課で都合をつけてもらおうと考えた。
「E課長、ちょっと申し訳ないんですが、Bの席をどこかに…」
「いいですよ。噂は耳に入ってますので…」
「面倒かけます…」
「いえいえ、明日は我が身ですから、ハハハ…」
ダンディーなE課長にそんな冗談を言われても、嫌みにしか聞こえてこない。とりあえずBをE課長に預けると、これからどうすべきか、頭をフル回転させなければならない。
取り合えず問題のA課長に事実関係を確認することが先決だ、そう考えたC部長は、ほとんど改行のない字がびっしりの報告書に目をしばたたかせながら、A課長と確認作業を始めた。
「冗談じゃない。まさかここに書かれていることを、鵜呑みにしているんじゃないでしょうね、C部長」
「その内容の確認をしているんです。冒頭からケンカ腰じゃ、話ができません。」
「だってそうでしょ。私が一方的に悪いみたいに書かれて…」
「Bの書いた文章なんですから…当然私は割り引いて読んでますよ」
「…」
「まず、ここに書かれている問題の発言ですが…」
「…」
「これは事実…?」
「…」
「どうなんでしょう…」
「…なんで…問題社員に怒ることがパワハラだなんて言われたら、日本中の管理職はみんなパワハラ加害者でしょう…」
「A課長、少し冷静に…」
「…私は、懲戒ですか?」
「まだ何も確認できていないですよ」
「そこに書かれた発言を事実であると認めれば、私はどうなる…?」
「そういうことですか…」
「…」
「ですが…」
「ですが…?」
「ええ、私は社長から、問題が大きくならないように対処するよう指示されています」
「ということは…?」
「いま、Bに騒がれないようにするには、どうすればいいか、思案中です」
「なんだ、そんなことですか」
「そんなこと、とは、あまりに口が過ぎませんか」
「いや、失礼しました」
「何か、いいアイデアでも…?」
「上司に対して反抗したことを問題とすればいいんじゃないですか?」
「しかし、報告内容が事実とあっては…」
「よろしいですか…上司である私が、Bの教育指導の一環として注意指導をしているのに、それを曲解したBは、私の言動をパワハラとして処分を求めたことは、職場の規律を乱すものであって、上司に対する反抗である…こんな感じで、どうでしょう」
「…A課長、あなたが人事部長になった方がよさそうですね」
「ご、ご冗談を…」
「ですが、言動の事実については、問題なしとの判断は難しいかと…」
「また、そのようなことを…社長のお墨付きがあるんですから、強気にいきましょう。私にお任せいただけませんか?」
「任せるって…?」
「職場の規律を乱した、服務規律違反で処分してやる…Bめ、覚悟しろ」
「それは、無理、勇み足です」
「ハハハ、脅しですよ脅し…後でシナリオを描くので、見ておいください」
そういうと、唖然としているC部長を残したままA課長は行ってしまった。
数日後、Bは、先日提出したA課長のパワハラについての報告書に対する会社の回答をする、ということで、C部長に呼ばれた。
会議室に入ると、そこにはA課長がいる。Bは何か嫌なものを感じた。
「先日あなたが提出した報告書ですが…」
C部長が口を開いた。
「…事実関係については、概ね確認しました」
「当たり前でしょ」
「ですが、会社としては、これらの事実をパワハラであるとは認めないと判断しました」
「はあ~」
Bは唖然として、次の言葉が出てこない。
「A課長の言動は教育指導であって…」
「教育指導!?どう考えてもパワハラでしょ、C部長!!」
うつむいたまま黙り込むC部長の隣から、A課長が口をはさんだ。
「ほかの会社は知らんが、うちの会社ではパワハラではない!!」
「…バカバカしい…そんな理屈は通りません」
その後をC部長が受けて続けた。
「教育指導をパワハラとして申告したあなたは、職場を混乱させた服務規律違反がある」
「な、何それ…!?」
「注意処分としますので、この書面にサインをしてください」
「何で、私が処分されなきゃならないワケ!?意味わかんない!?」
「今サインができないのであれば、持ち帰って改めて提出してください。今日は以上です」
というと、A課長はC部長に向かってニヤリとした。
Bは釈然としない思いで注意処分の書面を見つめていた。よほどその場で破り捨てようかとも思ったが、そんなことをしても何もならないだろう、という冷静な判断ができた。
何でこんなことになるのか…これからどうすればいいか、Bは思い悩んていた。このままサインをするのも癪だし、かといって拒否すれば、また何を言われるか分からない。そこに同僚のFがやってきて、ふさぎ込んでいるBに話しかけた。
「Aのパワハラを人事に話したら、私が懲戒処分だって…」
「そんなことあるの?」
「そんなことになってるんだもん」
「なんかまともじゃないよね」
「Aがまともなはずないじゃん」
「じゃあ。まともに対応することないんじゃない」
「どういこと?」
「無視しとけば…」
「どうせまたなんか言ってくるよ」
「それでも無視する。というより、とぼけちゃう」
「とぼけるか…それいいかも」
「ええっと、何でしたっけ、とか」
「あれ、そんなことありました?とか」
「絶対Aは逆ギレするよ」
「あ!それ見てみたい」
「あたしも…」
「なんか、面白くなってきたよ。F、ありがとう」
というと、Bはさっそく実行した。注意処分の書面を放って暫くすると、A課長からメールが入った。
「早くサインをして出しなさい」
「なぜメールに返信をしない」
「何か返事しろ!」
それでもBは無視を続けた。なぜかC部長からは何の連絡もないが、Bにとってはどうでもよかった。それよりもA課長が一人で怒っている様子はBの思惑通りの展開で満足だった。
あるお昼休みに、BとFは、A課長をこき下ろして大笑いしていたが、噂をすれば何とやら、そこにA課長が現れた。Bを見つけたAは、逃がすまじと血相を変えて追いかけてきた。Bは思わす逃げだしたが、Fもつられて逃げだした。
体力では追いつきようもない。階段を駆け上がると、BとFは簡単にA課長から逃げることができた。二人は声をあげて笑いあった。
その日の退社間際、Bは、今度はC部長に呼び出された。無視しようか、とぼけようか、迷う間もなく会議室に促されてしまったBの目の前に、腕組みをしたA課長が眉間にしわを寄せて座っていた。
「再三にわたる提出命令を無視したことは、懲戒処分に該当する業務命令違反は免れない。どういうつもりですか?」
C部長が低い声で迫ってきた。
「…パワハラじゃないなんて、考えられない…」
「そんなことを聞いているんじゃない。なぜ上司の指示に従わないのか、きちんと説明しなさい」
明らかに問題のすり替えだ。でも、逃げたことは事実、無視したことも事実、Bは面白半分の無責任な行為だったことを悔やんだ。
Bは懲戒処分として始末書の提出を命じられた。釈然としない気持ちの一方で、何の処分も受けずに平然としているA課長の様子に無性に腹が立ってきた。もう会社が信用できないBは、直接労基署で労災の申請手続きをした。
一方、社長室では、神妙にしているA課長の隣で、C部長がしどろもどろになりながら、激怒する社長に不毛な弁解を続けていた。