【人事労務のリスク管理メモ】9月号アップしました

【今回のストーリー】

●そして誰もいなくなった

IT系の小さな会社F社に勤めるAは、入社から五年ほどになるが、同僚の中ではすでに古株になっている。それは、能力のある同僚たちが次々に辞めていく中で、なんとか仕事をそこそここなしてしてきたからだった。といっても、特にAがこの仕事に強くこだわりがあるわけではなく、むしろ通勤が楽なことと、A自身には残業がほとんどない(?)ので、あえて転職しようという気持ちにもならなかったからだった。つまり「ラク」な職場だった。
でも、同僚の離職に伴って、そのしわ寄せがAにも徐々に及んできた。事務職で採用されたAだったが、技術職の同僚が辞めていく中で、技術系の仕事が出来るスタッフが居なくなり、かといって思うような人材の補充もできない状況で、致し方なくAにまでそのお鉢が回ってきた。Aは憂鬱になってきた。
そもそも技術系のスタッフが相次いて離職したのは、ほかでもない社長Bの言動にあった。社長のBは、自分の思い通りの成果が現れないと、感情的に激昂するだけで、スタッフには何が何だか状況が全く理解できない。Bの指示は気まぐれで、しかも抽象的主観的で、具体的な内容が分からないから、スタッフはBの意を「忖度」しながら、気をもんで作業をする毎日。結果をBに見せても、今度は何を言われるのか、戦々恐々としている。
「お前は仕事が分かっていない」「感性がおかしい」「頭大丈夫か?」「バカじゃねーの」具体的な問題点の指摘などは全く無く、ただ罵倒するだけのBに嫌気がさした技術系のスタッフが次々に辞めたとしても、何の不思議もない。
ついに最後の一人になった技術スタッフに対しても、社長のBは、これまでと何も変わることなく、バカだの、アホだのと喚いている。これで技術スタッフが誰もいなくなったら、どうするつもりなんだろう。社長はそういうことは何も考えないのだろうか。ホントのバカは、この社長なんじゃないのか、とAは思ったが、別に自分に害が及ぶわけでもなく、火の粉が降りかからないところにいれば自分は安泰、としか考えていなかった。
技術系の仕事をすると言っても、Aにそうした能力があるわけではなく、せいぜいワードとエクセルをいじれる程度だ。それでも社長は、「君は長いんだから、全く分からないということは無いだろう」と言って、無理やり端末の前に座らせられた。「前の連中が残した仕事を確認すれば、出来ないことは無い。まぁ、頑張ってやってくれ。」と言うなり、どこかへ行ってしまう。Aは途方にくれたが、ボーっとしている訳にも行かない。とりあえずパソコンを開いた。しかしこんな会社に発注する仕事があること自体が摩訶不思議でもあった。
夕方になり、B社長が戻ってくると、「A、できたか、見せてみろ」ときた。ルーチンの事務作業もしながらで、しかも全くの素人仕事、できるわけないだろう。「まだ全然ですが…」Bの表情が一気に険しくなった。「俺の前で、できないなどとは絶対に言うな。」すごんだ声に、Aはその場で固まってしまった。マイペースなAも、さすがにその日は定時で帰ることができなかった。
そんな調子なので、その翌日も、そのまた翌日になっても、完成するわけがない。B社長はしびれを切らし、「一体いつになったらできるんだ、こののろまが!もういい、今日が納品日だから、C社の技術本部のDのところに、午後一時に行って詫びてこい、分かったか。」というと、Bはまたどこかへ行ってしまう。今日が納品日って、何にも聞いてないし、ただごめんなさいって謝って来いっていう訳?…Aは呆然とし、またとてつもない責任を負わされたことに、身も心も打ちひしがれた。全く仕事に手がつかない。どうしよう。でも行くしかないし…もっと技術系のスタッフの人たちとも、コミュニケーションを取っておけばよかったかな、などと思っても詮無きこと。自分さえ良ければ、なんて思っているとこうなるんだな、などととりとめもなく物思いにふけっているだけで、時間はあっという間に過ぎた。
とぼとぼとC社の技術本部に着くと、受付でDと午後一時に会うアポを確認した。ロビーの椅子で待っていると、やってきたのはDではなく、総務部のEだった。Eとは事務作業のやり取りで、すでに顔見知りだったので、Aの気持ちも少しほぐすことができた。
「あれ、今度はAちゃんなの」
「そうなんです、誰もいなくなっちゃって」
「それはお気の毒さま。同情するよ。無理もない…」
「それより、納品日に間に合わなくって、お詫びしなきゃいけないので…」
「あ、それはどうでもいいの」
「どうでもいい…!?それって、どういうこと?」
「話聞いてない?」
「…え、ええ…」
「じゃあ、Aちゃんだから言うけど、ここだけの話ね。って言ってもみんな結構知ってるけど…」
「…」
「実はC社がF社に発注する今回みたいな仕事って、どうでもいい仕事なの」
「どういうこと?」
「話せば長くなるけど…もともとF社はC社の人材派遣部門が独立してできた会社なんだけど、実際には事務作のアウトソーシングを受け持っているような位置づけなのね。」
「その事務作業を、私がしてる、ってこと」
「そう。それがF社の本来の作業なの。だから事務スタッフが結構いるわけ。」
「じゃあ、IT系の開発の仕事っていうのは…?」
「そこなんだけど…、実はB社長をC社本体から引き離すために作った仕事で、もっと言えば、C社から追い出されたのよ、Bは」
「BはF社に追い出された!?」
「まぁ、そういうことね。天下りでC社に役員として来たけど、相当いろいろあったみたい。」
「どこでも嫌われるよね、ああいうタイプ。納得…」
「でもF社に出したのはいいけれど、高額な天下り役員の給料がF社では支払えないので、名目だけの開発の仕事をF社に回して、それでBの報酬にしてるわけ」
「何それ!?…バカバカしい…。でもそのために技術系のスタッフまで雇ったわけでしょう」
「F社にいた技術スタッフは、みんなC社からの出向で、つまるところ、Bのお守りをしてみんな元に戻ってるんだよ。」
「そうだったの?」
「あなた、何にも知らないのね?」
「…」
「問題はこれからね」
「これから!?」
「そう、あなた自身の。毎月の納品日に、私に会いに来る仕事が、これからも続くのかもよ。」
「えっ、…そんな…」
「でも、状況が分かったら、なんとなく気が楽にならない?」
って言われても、Aは全然楽にならなかった。その後どんな会話をしたか思えていないが、とりあえずその日は自宅に直帰した。これからもBのお守り役をやらされるのかと思うと、Aは愕然とした。私もC社に異動させてもらえないかな、などと都合の良いことを考えていた。定時に出社して、決まったことをやって、定時に帰る、という仕事はほんとによかったな、とAはしみじみ思っていた。

●ストーカーがいる

Gの職場にHが配属されてきた。立場上は同僚だが、Gはこの職場での先輩格になるので、こまごまとした作業を教えなければならない立場にある。Hは年下でもあることから、Gは何かと面倒を見てあげていた。休憩中にぽつねんとしていれば、声をかけてあげたり、昼食に誘い出したこともあった。そんなこともあって、Hは徐々に職場で他の同僚らとも、それなりにコミュニケーションをとっているようだった。そんなHの様子に、あえてGもHに対しては、気に留めなくなっていった。
Gにはお付き合いをしている彼氏Iがいる。社内恋愛だが、もちろん会社では秘密にしている。Gの誕生日にIとすごしていると、大きな花束が届いた。GはIに「ありがとう、すごくいっぱい…」と言いかけたが、Iはけげんな顔をしている。「俺じゃないけど…」「えっ…」花束の送り主は不明だ。「なんだか、気味が悪い…」
配送元のお花屋さんに問い合わせても埒が明かなかった。「気にしていても、しかたがないよ」とIから言われたが、恐怖感があった。
その後、その送り主であろうと思われる人物からは何の音沙汰もなかった。それから数か月ったある日、Gはすっかり忘れていたその人物と思われる者からの手紙がポストに入っているのを見て、戦慄を感じた。「彼氏がいるなんて知らなかった。俺は諦めるけど、彼氏とも別れろ」などと訳の分からないことが書いてある。GはIに電話をかけた。「これはストーカーだな」
その後も手紙のポストへの投函は続いた。「早く分かれろ」「俺は秘密を知っている」「会社で全部ばらすぞ」「会社に知られても良いのか」もちろん差出人の名前などは無いが、郵送ではないことから、直接ここまで来ていることは間違いない。しかも「会社云々」と書かれていることは、もしかしたら会社関係者かも、という可能性も考えられる。警察にも相談したが、今の段階では…とあまり積極的に関わろうとしてくれない。ただエントランスに防犯カメラがあるので、それを確認すれば、とのことで、警備会社への働きかけができ、確認作業ができた。はっきりとは確認できなかったが、Gのポストに投函したのは、郵便配達、ポスティングのスタッフと思われる人物が数名、それも女性のようだった。
GはIと相談し、会社に関わる内容が書かれている以上、これは会社の中で公然と問題とすべきこと、それによって自分たちのことも公になってしまうが、身の安全と引き換えにすることはできない。意を決し、二人は総務に事実関係を説明し、会社にも問題解決に協力してもらえるよう求めた。
総務は、もしこのストーカーがもし社員であれば、極めてゆゆしきことで、職員の安全を守る立場から、早急に対応をすることを約束した。間もなく総務発の一斉メールが送られてきた。GとIの関係をとやかく言う職員もいたが、それよりもストーカーは誰か、社内にいるのか、という話で持ち切りになった。こうした状況で、ストーカーはどう出てくるか、見極めることがまずは先決、とGらとともに総務が対応を話し合った。
ストーカーの対応も早かった。翌日の朝、出社前にGがポストを除くと、例の文書が投函されていた。警察の指示もあり、手袋をして取り出し、中身を確認した。「今日は余計なことをしてくれたな。そっちがそのつもりなら、こっちも徹底的にやらせてもらう」
Gは、このまま警察に届けるべきか迷ったが、もしこれが社員であった場合を考えると、まずは総務に報告すべきと判断し、対応を求めた。
総務はすぐに再び一斉メールを発信した。ストーカーは、社内の状況を迅速に知り得る立場にあると考えられること、もしこれが社員によるものであれば、速やかに申出ること、申出なき場合には、書面の指紋などを鑑定してもらう必要などから、今回の問題の解決を警察に委ねることになる、などとする内容だった。
総務に対しては、何の連絡もなかったが、お昼休み中に、Gの携帯にメールが入った。差出人の分からないフリーメールだった。「またよけいなことしたな。すぐに問題解決を撤回しなければ、命の保障は無い」という内容に、Gは座り込んでしまった。間違いなくストーカーは社内にいる。どうしよう。きっと今でも自分を見ているに違いない。もう一歩も動けない。うずくまったまま、Gは、とっさにこのストーカーのメールをIに転送してSOSを求めた。Iは同僚ら数名とGのところに行き、中に囲むようにした。総務担当者とも緊迫したやり取りが続いたが、「一か八か、このフリーメールに返信してみたらどうか」ということになった。もし社内に発信者がいれば、それに応答するなどの対応をする可能性がある。そこをチェックすれば、何かが分かるかもしれない。
段取りは決まった。休憩時間終了後、各部署の管理職らから、従業員全員は一旦席に着き、数分の間、一切の業務を止めて欲しい、と指示した。そしてGは、そのフリーメールに返信メールを送信した。
するとどうだろう。なんとGと同じ職場で、しかもGとはす向かいに席のあるベテランの女性職員Jの携帯が鳴りだした。Hは今にも泣きそうになっている。上司のKはJを制止し、携帯を取り上げた。Jは上司のKや総務の職員に促され、会議室へと導かれていった。
Jはすべてを話した。JはHから、Gに対して好意を抱いていることを相談され、嫉妬の感情もないまぜになってやってしまったと、うつむいたまま、涙ながらに弁解した。