「これはパワハラじゃないでしょうか」
「会社にはパワハラであることを認めて欲しいんです」
相談者が「パワハラ」のこだわるのは、理由があります。私にパワハラの解決を求めるご相談メールは毎日送られてきますが、問題の解決を求める以前に、ご自身が直面している問題はパワハラかどうか判断してい欲しい、というものが少なからずあります。
私が運営するハラスメント相談サイトでは、「ハラスメントかどうかの判断が問題の解決に直接つながるものではない」ことを強調しているのですが、この意味は、問題の事実関係がハラスメントかどうかの判断にかかわらず、問題として指摘された事実関係をどうして欲しいのかを具体的に求めることが大切である、ということです。
ハラスメントというセンセーショナルなキーワードは、会社にとっては当然に好ましからざる言葉であって、事実は事実として受け止めなければならないとしても、やはりハラスメントとして軽々に容認することはできない訳です。そのため、事実関係は認めつつも、ハラスメントであるとは会社としては考えない、という結論になることが往々にしてあるわけです。
そこで会社が考えるのは、コンプライアンスであり、訴訟リスクであることは言うまでもありません。ハラスメントを認めた段階で、ブラックの烙印を押されてしまうのではないか、高額な慰謝料請求をされるのではないか、などと頭を抱えることになります。
しかし、一方で「ハラスメントではないか」と解決を求める相談者は、おそらくは、慰謝料請求とか、会社の責任などを追及しようと考えている可能性はかなり低いのではないかと感じます。もちろん、慰謝料請求を明言されたのであれば、これは会社としても法的根拠を背景に、鉄壁のバリアを張る必要がありますが、問題はそのタイミングです。
「ハラスメントではないか」と言われた途端に、鉄壁のバリアを張ってしまった場合には、本当に鉄壁のバリアを使って従業員と対峙しなければならなくなるかもしれません。大切なことは、「ハラスメントではないか」という申し入れに隠された真意を見極めることです。
「パワハラでよかった」って、どいういうこと?
私へのご相談で、「ハラスメントかどうか判断してほしい」という内容に対して、「確かにハラスメントと考えられる内容も含まれていると思います」などとする返答を差し上げると、こんな反応が返ってくるのです。
「やっぱりハラスメントだったんですね。あー、よかった。」
「ハラスメントだと言ってもらえて、安心しました。」
ハラスメントであることが分かって、何が良かったのか、私には当初全く理解できなかったのですが、恥ずかしながら最近になって、その気持ちの一端が見えた気がします。それは
「私が悪いんじゃなかった」
「私に問題の原因があるのかと思って、心配だった」
だから、ハラスメントである、つまり、問題の原因はハラスメントであって、自分が悪いわけではない、問題の原因は自分にあるのではない、ということを言ってもらえて、「よかった」「安心した」のです。
ハラスメントを受けている状況にありながら、それでも「自分に問題があるのでは…」と思い詰めるような健気な社員は、殺伐とした職場環境が増えている今日、貴重な人材ではないでしょうか。
大切なことは、本人の真意を見極めることです。ハラスメントという劇薬キーワードに託された気持ちがどこにあるのか、この点を読み誤ると、本当にトラブルに発展することになるのです。
問題解決のための方法はまさにケースバイケースです。具体的な対応についてはこちらからご相談ください。